位牌、数珠、仏像、仏壇、仏具等の案内とオーダーメイド仏壇の販売のことなら不動堂。

仏壇・仏具 不動堂

仏壇

ご先祖様のご供養には、ひとつひとつ心をこめた手作りのお仏壇を

「不動堂」は、大阪仏壇のもつ深い味わいと、十数工程にもおよぶ手作りの技を受け継ぎ、日常生活に安らぎと潤いをもたらしてくれるお仏壇を製造直売でお届けしています。

手仕事は心の仕事 伝統工芸品 大阪仏壇

便利さや効率化が求められ続けてきたあり方に対し、モノの満足感でなく「ゆとり」「心の豊かさ」といった、精神面での「うるおい」「やすらぎ」に価値を求める機運が高まってきています。日本人の心の中にしっかりと定着した「ものづくりの心」に裏打ちされた伝統的工芸品がさまざまな角度から見直されて、手つくりの持つ自然の打つ美しさが輝きはじめてきました。

作り手の心が使い手に伝わる伝統的工芸品

日本人のものづくりに対する感覚は他国にないものです。国もその強さの原点に、光を当てはじめてきました。機械にたよらなければ出来ないモノがあると共に、機械では生まれないモノが数々あります。手仕事の優れた点は、品物が手堅く親切に作られることであります。それには技術者のたゆまない研鑽が欠かせません。伝統的工芸品『大阪仏壇』のよさを見直しましょう。

大阪仏壇の歴史

大阪仏壇産地は、日本で最も古い歴史を持つ仏壇産地と言われている。552年、日本に仏教が伝来し、百済の威徳王から、海上の要所であった難波津の御津浦(現大阪市中央区三寺町)へ、経文と共に6人の仏工(仏師)、造寺工(大工・細目師)が遣わされた記録が残っている(日本書紀)。又、593年聖徳太子が四天王寺を建立する際に、百済から4人の技術者を上町台地に住まわせた。のち、これら大陸からの技術者が中心になり大阪産地の仏壇・仏具生産が形成された。大阪仏壇が本格的に発展していくのは江戸時代になってからである。石山本願寺に代表されるように大阪はもともと浄土真宗の拠点であった。檀家制度、宗旨人別制度等の施行で仏壇を設ける習慣が普及し仏壇の生産は拡大していき、大阪は次第に産地としての体裁を整えていった。

1800年代になり錺長や錺平など打ち出しの技法が錺金具で、光押し、重押し、粉留などが箔押しで、呂色塗りが漆塗りで開発された。彩色では繧繝(うんげん)彩色という優雅さを表現する技法が開発された。また金具の錆による損傷を防ぐため漆を盛り上げて錺金具を打ったように見せた高蒔絵の技法が開発されたのもこの時期である。

江戸初期以降、大阪産地では唐木仏壇の生産も行われた。仏壇需要の増加に対応して、杉や松・檜等で簡単な戸棚仏壇を作るようになった。江戸中期以降は、紫檀、黒檀、花梨材など「からの木(唐木)」と呼ばれ輸人材で仏壇を作る職人も出てきた。漆塗仏壇のデザインや技法を取り入れ、徐々に大阪産地独自の唐木仏壇として発展し塗仏壇と並んで大阪産地の主要製品となっている。

家具調仏壇

家具調仏壇です。
和室に置いても違和感がありません。
これまでの伝統的様式から彫刻を排除し、インテリア性を重視したすっきりしたデザインです。
家具調仏壇は、マンションやフローリングの部屋に違和感なく安置できます。
上置きタイプ・下台付タイプがあります。

上置きタイプ

下台付きタイプ

当店では個人様はもちろん、業者様、お寺様からのお問合わせもお待ちしております。
「不動堂」は熟練職人による一貫生産です。
伝統技法を受け継いだ職人の技術が集結したお仏壇を店内には常時100以上展示しております。
多くの種類を取りそろえておりますので、ご要望に応じたものをその場で確認していただけます。
サイズもその場で実寸することができます。
是非一度お越しいただき、実際に目でご確認してください。
ご相談・お見積りはもちろん無料ですので、安心してご相談ください。

お気軽にご相談下さい 072-362-2177

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